実をいうと、はじめて僕に山上憶良の絶唱「いざ子ども早く日本やまとへ大伴の御津みつの浜松待ち恋ひぬらむ」を思いつかせたには、この友松屏風だったんです。浜松図屏風には珍しい橋が、わが国と中国を結ぶイメージに、あるいは象徴性をこめた虹の橋に感じられたからでした。『万葉集』を愛して止まなかった智仁親王は、もちろんこの一首をよく知っていたことでしょう。というわけでこの和歌を、浜松図という画題全体に敷衍させてみたくなったんです。
ところが、この「近世の御所を飾った品々」展のカタログによると、本屏風の制作年は慶長10年(1605)となっています。ということは、ちゃんとしたドキュメントがあるような感じがします。そうなると、これまで述べてきた私見は慶長6年制作という前提に立っていますから、またまた独断と偏見ということになっちゃうのかな(笑)
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