去年、喜多川歌麿の『画本虫撰』が松平定信による寛政の改革を揶揄するサトリ絵だったのではないかという妄想と暴走をアップしましたが、鳥文斎栄之も寛政の改革に翻弄された浮世絵師でした。いや、それを逆手にとるようにして、自分の絵画世界を創り出した浮世絵師だったというのが、僕の見る栄之像ですね。
禄高500石の旗本・細田家に生まれた栄之は、小さいときから絵が好きだったのでしょう。何歳の時か分かりませんが、木挽町狩野家の栄川院典信えいせんいんみちのぶに画技を学び始めます。そしてみずから好んで絵を描いた10代将軍・徳川家治の絵具方になります。絵具方というのは、将軍や御用絵師のために絵具や筆墨などの画材を用意する役職だったのでしょうか。
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