ところが昭和56年(1981)、畏友・松原茂さんが「紅嫌いと寛政の改革」という論文を『ミュージアム』358号に発表したんです。松原さんは松平定信の自伝的回顧録『宇下人言うげのひとごと』を読み、天明7年の記事に「ちかき比ころは、東あずまにしきえとて、くろきとむらさきにてすり出し」とあることを発見したんです。
松原さんはその他の傍証を加えて、紅嫌いは寛政の改革と関係がなく、むしろ美意識の問題としてとらえるべきだと主張したんです。そのころ僕は名古屋大学にいましたが、「これで決まり!!」と深く心を動かされました。それ以来、この松原説が定説になったんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿