しかし禁令があったため、事実を隠していたところ、それが露見して罰せられることになったという。また伊東淡路守は蚊に刺されたとき、思わず知らず手でたたき殺した。その血が顔についたのを、井上彦八(利実)が見て注意したところ、淡路守は紙で拭き取り、手を洗ってから勤務に就いた。そのことが将軍の耳に達し、鳥類畜類はいうに及ばず、蚤や蚊までも殺してはならないと言われていたのに、それに違反したという罪だともいう。彦八はそれほどのことを見ていたのに、どうして報告しなかったのかを問われて、閉門を言い渡された。
ところが 、 澁澤栄一が 数え 92歳の天寿をまっとうして 没したのは昭和 6年 1931 のこと な ん です 。単行本『旧聞日本橋』が出版されたのは、澁澤栄一が亡くなってから4年もあとのこと だったのです 。 しかし 栄一が活躍した時代を暗示するため、澁澤青さんは『旧聞日...
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