「牡丹雪」の翌年出版された自伝ともいうべき『青眉抄』において、松園は次のように語っているからです。
母と私の二人きりの生活になると、母はなお一そうの働きぶりをみせて、
「お前は家のことをせいでもよい。一生懸命に絵をかきなされや」
と言ってくれ、私が懸命になって絵をかいているのをみて、心ひそかにたのしんでいられた容子である。私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命と杖として、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである。 それで私は母のそばにさえおれば、ほかに何が無くとも幸福であった。 旅行も出来なかった。泊まりがけの旅行など母を残して、とても出来なかったのである。
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