もっとも、刊行年未詳の作品が14点ほどありますが、これらも明治11年から13年の間に制作されたとみてまちがいないでしょう。2年も間隔を明けて、芳年が最後にポンと「天照大神」を描き加えたというのは、じつに不思議なことです。
すでに名将武将50人で完結していたのに、芳年はどうしても天照大神を加えたくなったのでしょう。51人という切りの悪い数字になってしまう上、天照大神は女性であり、名将でも武将でもないのに、芳年は加えずにいられなかったのです。
これは芳年の強い歴史意識、歴史画意識を示しています。つまり日本の歴史には起承転結がなければならないといった意識です。
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