両者とも『諸橋轍次博士の生涯』巻末の「遺墨」に、書幅の写真とともに載っていますが、字句に相違があります。とくに前者はかなり違っています。「遺墨」の説明には、「昭和22年(1947)晩春、岩崎小弥太男爵の三周忌の法要が熱海の岩崎邸陽和洞で営まれた折に作り、孝子夫人に贈られたものである。時に博士65歳」「米山寅太郎氏蔵」とあります。おそらく先生は、20年以上経って『止軒詩艸』に収めるとき、さらに推敲を加えたのでしょう。しかし僕には、オリジナルの方が好ましく感じられるので、これにも戯訳をつけてみました。
緑の竹に周りみな 囲まれている陽和洞
かつて遊んだこの地だが すでに主人は…… 悲しいなぁ!!
静かな真昼その家に 降る雨 清むナシの花
しとしとしとしと春はゆく それを恨んでいるように
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