結句の「籀文」とは、篆刻の一書体である大篆のことですが、なぜここに「籀文」が出て来るのか、頭をひねってしまいます。自賛の字は普通の行書であって、大篆じゃないからですが、すでにある古詩をそのまま引っ張ってきているのかもしれません。あるいは、海屋が大篆で自刻印を作ったことがあったのでしょうか。はたまた、海屋が七絶をみずから作って大篆で書いたことがあり、その七絶をふたたびここに使ったのでしょうか。よく分かりませんが、古詩の引用と考えて……
落ち込んだので小盃で ちょっと三杯やったけど
気分は晴れず仕方なく 大きな雲を描いてみた
胡麻塩頭もハゲとなり 俗事に染まるを自嘲する
せめて印だけ苦労して 大篆用いて彫ってみた
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