僕もそうだと思いますが、そもそも春日明神をはじめ神のつかいとする思想の原点は、かの国宝「袈裟襷文銅鐸」(神戸市立博物館蔵)などに陽刻された鹿、多くの弥生土器に描かれた鹿に求められるように思います。
弥生人が鹿を好んで造形化した理由として、よく引用されるのは、『播磨国風土記』讃容郡の一節です。それは、生ける鹿を捕り臥せ、その腹を割き、その血に種モミを蒔いたところ、一夜にして苗が生えたので、それを取って植えたという、種籾賦活伝説です。
このように鹿と弥生文化の象徴である稲作とが結びついた背景として、牡鹿の角が繰り返す袋角→落角という周期性と、稲作の周期性が呼応するからだという興味深い見解も発表されています。
奈良県立橿原考古学研究所の橋本裕行さんは、鹿が単なる稲作の神や地霊などでなく、それらを包括し、生と死、創造と復活とを司る、より高次な観念によって神格化されたものだと指摘しています。明恵上人がこのようなことまで考えていたかどうかは分かりませんが、『播磨国風土記』などを知っていたことは疑いないでしょう。
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