今日でも、迷った夢想家のような芸術家があって、中世に戻ることを願い、人々がおのおの自分の家に美しい装飾の一片を彫刻した時代、すべての村の教会がそれぞれの「聖母と幼な子」を持っていた時代、一ト口で言えば、芸術と人生と宗教とが手を取って進み、階級や職業によってきわどく引きはなされていなかった時代を憧憬れている。けれどもわれわれは時計を逆転させられない、たとえ分化によって何かを失っても得るところは多いのである。昔のオルケーストラの庭での無唱踊りは分化せざるものであり、それ自身の美があった。しかしその分化によって――芸術家と役者と観客との分離によって、われわれは実に劇[ドラマ]を得た。われわれは愛惜の眼を後方に向けてはならない。世界は新たな人生形式に向って前進する。そして今日の教会は明日の博物館とならねばならぬし、またなるべきである。
2018年12月4日火曜日
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追悼 高階秀爾先生15
こんなに素晴らしい我が祭りの伝統が、実利主義やグローバリゼーション、あるいは天災や疫病の流行、そして何よりも少子高齢化によって、失われてしまうのではないかという危惧がないではありません。しかし心配するには及ばないと思います。 私たちの社会には、日本の祭りが形を変えつつもチャンと...
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実をいうと、クァチュオール・アコルデさんには、一昨年お願いしたのですが、台風とコロナ緊急事態宣言のため2度中止となっていまいました。しかしあきらめきれず、先週の日曜日に改めてお願いしてあったのですが、この日まで緊急事態宣言が延長されたためマタマタ中止、宣言が解けた最初の日曜日...
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高階秀爾先生が10月17日、 92 年の超人的生涯を終え白玉楼中の人となられました。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 一人の人間が、これほどの質量を兼ね備えた仕事を一生の間になし得るものでしょうか。しかも特定のジャンルに限定されることはありませんでした...
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もちろん雅文化であるクラシック音楽に、造詣が深かったことは言うまでもありません。ハープ奏者として活躍している摩寿 ( 数 ) 意英子さんは、高階先生と何度も一緒にお仕事をされたそうです。 その摩寿意さんが、先日僕の「追悼 高階秀爾先生」に、先生が音楽にも大変お詳しいことに...
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