2018年11月26日月曜日

鹿島美術財団講演会「グローバル時代の東西」4


そしてこの手弱女的美意識が、我が国美意識の基底をなしており、それがほとんどDNAとなっていることについては、すでにマイブログ「饒舌館長」でも重ねて指摘したとおりです。東大寺南大門金剛力士像の型が孤立的であり、ほとんど継承されなかった理由として、やはりこのような様式、あるいは美意識の問題を考えてみたい誘惑に駆られるのです。

すると話はさらに広がります。その金剛力士像を収容するというか、護っているというか、ともかくも東大寺南大門の建築様式が、金剛力士像と軌を一にしているからです。大仏様とか天竺様とか呼ばれる東大寺南大門は、きわめて力強くエネルギーに満ち、堂々と文字通り仁王立ちのように立ち上がって天を摩し、益荒男的迫力をもって感動を呼び起こしてくれます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

追悼 高階秀爾先生14

この気風は無論近世に始まったものではない。従って既に明治以前からも、村里の生活にも浸潤して居た。村の経済の豊かな年には、農民はいつもこの「見られる祭」を美しくしようと心掛けつつ、しかも一方には彼等伝来の感覚、神様と祖先以来の御約束を、新たにしたいという願いを棄てなかった故に、勢い...