しかし、完成された日本刀は、そのような高度な技術や複雑な工程を微塵も感じされることなく、あくまで端整であり、清純であり、そして簡潔なのです。だからこそ、日本刀は日本文化のシンボリックな存在として、燦然たる光輝を放ち続けてきました。そして日本文化再評価という世界的潮流の中で、これからますます光り輝くことになるでしょう。
ここで普通なら「僕の一点」といきたいところですが、たとえば目玉ともいうべき国宝「手掻包永[てがいかねなが]」を取り上げて、独自の見解を開陳するというのは、さすがの「おしゃべり館長」の手にも余る仕事です。
仕方がないので、中国・北宋の欧陽脩(1007~1072)の「日本刀の歌」を、岩波版『中国名詩選』から、例のごとく僕の戯訳で紹介することにしましょう。
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