太平洋戦争が終わって中国から帰って来た僕の親爺は、秋田県米内沢の済生会病院につとめ出しました。そのころの記憶にほんのわずか残っている雪景色を、巴水の「雪に暮るゝ寺島村」が呼び覚ましてくれるのです。
小学校に入るチョッと前から大田区の大森山王で暮らすようになりましたが、その桜の季節は「春のあたご山」がよみがえらせてくれます。もうそのとき僕は、巴水が描くような着物を着ていなかったはずなのに……。
小学校4年のとき一駅隣の蒲田へ引っ越しましたが、近くを流れていた呑川の夕焼けが、巴水の「木場の夕暮」とダブルイメージになって年老いた網膜に映るのです。
そのころ夏休みの何週間は、お袋の田舎である秋田の本荘で過ごしていましたが、ときどきお祖父ちゃんは本荘浜に連れていってくれました。巴水の「松島かつら島」を見ていると、その本荘浜が重なるようにして浮んでくるのです。

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