前野直彬先生注解の『唐詩選』<岩波文庫>によると、「長楽少年行」の解釈は3つもあるそうです。しかし僕はいずれの解釈も腑に落ちず、先にアップしたような戯訳を作った次第です。
イナセな唐の若者が、日本でいえば吉原にあたる章台で馴染みの遊女と戯れましたが、乗ってきた馬の鞭をその枕辺に置き忘れてきました。鞭がなく馬がストを起こすので、鞭にするため近くにあった柳の枝を折り取ったところ、先ほど別れてきた遊女にもう一度逢いたくなったというのが、僕の解釈です。柳は別離の象徴ですが、「花柳界」という言葉があるように、エロティックなイメージも含む植物だったからです。
実はすぐれた北斎研究家であった永田生慈先生も同じ考えでした。すると阿倍仲麻呂も崔国輔の「長楽少年行」も、どこかに回帰する、あるいは理想とする場所に戻ろうとするというベクトルが同じで、ペアとするにふさわしいことになります。我らが日本と遊郭を一緒にしちゃ~、ちょっとまずいかな( ´艸`)
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