チョッと脱線してしまいましたが、そのベルツ・コレクションのなかに雪庵の「松雲仙境図」という力作があり、強く印象に残っていたことも、由一における雪庵の重要性に気づかせてくれた理由でした。その後、雪庵の作品に逢着する機会がなかったこともあって、平林寺にこんな雪庵の優作が収蔵されていることを知り、驚いたというわけなのです。
驚いただけではありません。僕は「雪庵のもとで中国画の合理的視覚に触れたことが、洋画へ進むための基盤を用意したのだ」という進化論的推測を、「狩野派と明清画風」章の最後に書いておいたんです。やはりそれが間違っていなかったことを、この牧谿に倣った雪庵の「寒山拾得図」が証明してくれたのです。
もっとも拙論執筆当時は、もっぱら「北派」を念頭に置いていたわけですから、「中国画」に禅宗絵画の牧谿まで含めてしまうと、またまた我田引水、拡大解釈になってしまうかな( ´艸`)

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