その多くは紙本墨画あるいは淡彩の質素なものですが、「虚空蔵菩薩像」(個人蔵)のように絹本濃彩に金泥を加えた本格的な仏画もあります。その興味深い解釈が、カタログ解説に述べられています。この「地蔵菩薩像」のように、一蝶は早くから本格的仏画を描いていたわけですが、三宅島の作画環境が仏画との親和性をさらに高めたように思われます。
また形而上的問題として、一蝶が熱心な法華信徒だった点を見逃すわけにはいかないでしょう。基本的に狩野派は法華宗(日蓮宗)の信徒でした。狩野安信に就いた多賀朝湖、つまり一蝶ももともと法華宗であつたか、その後信徒となったのでしょう。かくして享保9年(1724)正月13日、73歳をもつて一蝶が没したとき葬られたのは、江戸二本榎の承教寺塔頭顕乗院でした。
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