一方、上流階級や開明的知識人たちの一部は、近代国家には正しい歴史画、つまり西欧的歴史画が必須であると考えていた節があります。しかしそれは、頭でっかちの理論、実態を伴わない理想であって、そんな歴史画はなかなか普及しませんでした。
明治22年(1889)岡倉天心は、今や世界最古の美術雑誌となった『國華』を創刊しました。天心は「それ、美術は国の精華なり」に始まる、四六駢儷体の堂々たる創刊の辞を寄せています。
それを読んでみると、日本美術においてもっとも発達が遅れているのは歴史画であるけれども、これは近代国家にとって絶対必要なものであることを力説しています。深読みをすれば、未発達であることに対する苛立ちさえうかがえます。
0 件のコメント:
コメントを投稿