2022年3月23日水曜日

月岡芳年「大日本名将鑑」2

 

 嘉永3年(1850)芳年は歌川国芳の門に入りました。国芳は「武者絵の国芳」と呼ばれたほど、武者絵で有名でしたが、江戸時代の武者絵と芳年の「大日本名将鑑」の違いはどこにあるのでしょうか? それはズバリ、入れ墨のデザインになるかならないかの違いです。

国芳の「通俗水滸伝豪傑百八人之壱個」は入れ墨になりますが、芳年の「大日本名将鑑」は入れ墨にふさわしくありません。

明治5年(1872)政府は入れ墨を制限するようになりました。実際は禁止に近かったと思います。外国に対して、野蛮国と見られることを恐れたからです。それが今じゃ~「タトゥー」と名を変えて、最新の欧米文化になっているようですが( ´艸`) 「大日本名将鑑」には近代的な国家意識が見られますが、その近代国家が禁止した入れ墨のデザインにならないことと、不即不離の関係に結ばれています。


0 件のコメント:

コメントを投稿