もっとも、原詩は「斑猫児を失却して 老鼠 飯甕を囲む」というのですが、岩波文庫版『寒山詩』の訳注者である太田悌蔵先生は、「斑猫児」に異なる解釈を施しています。つまり「寒山自身の称。又道心の窮困して煩悩の跳梁するに喩ふ」とおっしゃるのですが、いかがなものでしょうか。素直にまだら模様のネコとした方が、最後の句ともよく馴染むように感じられます。太田先生はネコがあまり好きじゃ~なかったのかな(笑)
後藤さんがいうように、何か出典があるような気もしますが、居なくなってしまった愛猫に対する寒山の寂寥感がまずあっての話でしょう。これを詠んだのが、本当に寒山であったかどうかは脇に置いといて……。
寒山拾得詩にはタイトルがないので、はじめの二字を採って掲げることにしましょう。
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