ここまで書いてきて思い出すのは、外国留学から帰国したある東大女子学生のおみやげ話です。留学生試験をみごと突破した彼女は、憧れの西欧美術を研究するため、ドイツの名門大学に入りました。すぐに親しくなった友だち――もちろん同性の友だち――とアパートをシェア・レントして生活を始めました。
ある朝そのウォーター・クロゼットで、彼女が洗顔したあと歯を磨いていると、ルームメイトが「お早う」と言いながら入ってきて、脇で排泄行為を始めたというのです。「私にはとても恥ずかしくてできないわ」と、恥ずかしそうに彼女は話していました。
佐原先生や彼女や僕の経験から導き出される結論は、トイレ羞恥心にも国によって差異があること、言ってみれば国民性があるという事実です。つまりトイレ羞恥心も、本能的なものでも生得的なものでもなく、社会によって学習させられる感情なのです。だからこそ、社会ごとの相違が生れるのでしょう。佐原先生が指摘するように、強いトイレ羞恥心は日本文化なのです(!?)
0 件のコメント:
コメントを投稿