たとえば第一部「書跡のトランジション――紙絹をとりまく理想と相克」を見てみましょう。同じ文字なのに、日中でずいぶん違っています。平仮名と漢字の印象が異なるのは当然ですが、詩歌や文章の書き方、あるいは構成の仕方がひどく違っています。
しかし同じ東アジアに生まれ育ちながら、それはなぜなのか、どうしてなのか、何か理由があるのかを僕なりに考えながら見ていきました。それはもう借り物じゃ~ない、僕だけの美術史が誕生したことを意味します――なんていうとカッコいいのですが、日中におけるトランジションの理由をそれぞれ考えるのはむずかしかったので、安易な日中比較という方法に逃げただけの話です。
このような観点からおもしろかった「僕の一点」は、明時代の「三彩蓮池水禽文皿」と、桃山時代の「総織部蓮池鷺文輪花皿」ですね。比較なので「僕の二点」になってしまいますが、ともに愛知県陶磁美術館が所蔵する17世紀の焼き物です。
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