2019年10月25日金曜日

石水博物館「川喜田半泥子の秋」3


長石釉で焼成した楽焼だそうですが、ちょっとワラをかけて焼いたらしく、そこが黒くこげて、得もいえぬ効果を見せています。すぐに僕はあまりにも有名な本阿弥光悦の「不二山」を思い出したのですが、光悦を尊敬して止まなかった半泥子のことですから、この「不二山」を知っていたことは、改めて指摘するまでもないでしょう。

もちろん、直接的影響を受けているわけじゃ~ありません。あの不二山効果が、みごとに半泥子化されているのです。事実、半泥子は著書『随筆 泥仏堂日録』のなかで、次のように謙遜しながら、しかし実際は自負矜持とともに、自分の芸術観を披瀝しています。

私には、夫れ等の古陶器を模すだけの腕前もなく、又、生来のツムジマガリから、そういうことが嫌いなものですから、只モウ自分の気まかせで、嘗て見た陶器は勿論のこと、其他の自然物から受けた印象で、イイと思った色や、形や、作意気の潜在意識で、作り上げたまでのものばかりです。

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