このような書院会所の茶に革命的改変をもたらしたのが、一休宗純に参禅した村田珠光であった。内省的心情や閑寂を最も重視する茶の湯は、余りにも有名な『心の文』に見る「和漢の界を紛らかす」という思想に具体化されている。これを道具に限れば、完璧なる唐物に対し、不完全な和物、つまり人間的な和物を尊重することになる。茶禅一味の思想が内実化されたと言ってもよいであろう。
茶の湯は珠光の弟子たちや、孫弟子ともいうべき武野紹鴎、さらに京都、堺、奈良の茶人たちによって磨きをかけられ、遂に紹鴎の弟子千利休が侘茶を完成することになる。この簡素静寂の境地に最高の美を見出そうとする侘茶は、利休が行き着いた二畳の茶室妙喜庵待庵に視覚化されている。これこそ日本の茶の湯であると誇ってよいであろう。
源泉は中国にあるわけだが、ほとんど我が国独自の文化に変容していると言っても過言ではない。弥生時代以来、我々は中国文化を受け入れ、それを我が国の自然と精神風土の中で日本化をはかり、オリジンとは異なる文化を創り出してきたのだが、茶の湯も例外ではありえない。
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