一蝶は、狩野派の本家である中橋狩野の安信に学んで、江戸前期に活躍した狩野派の画家である。しかし狩野派といっても、少し毛色が変わっている。狩野派が得意とした山水や花鳥、あるいは和漢の古典的人物より、江戸の都市風俗を好んで描いた。そのため、狩野派から破門されたという伝説を生んだほどである。
一蝶は吉原遊郭に出入りし、幇間のようなことをやりながら画家として生活していた。そして遂に、幕府の要人に遊女を身請けさせたりしたものだから、伊豆七島の三宅島へ島流しに処せられてしまう。当時は五代将軍綱吉の時代で、その生類憐れみの令に違反したためという説もあるが、真相は善からぬ幇間行為の方にあったらしい。
三宅島では、画家としての活動も認められていたようで、島流し時代の作品が伝えられている。それらは島一蝶と呼ばれて、コレクター垂涎の的となっているのだが、「布晒舞図」は島一蝶の代表作として、早くから重要文化財にも指定されてきた。
歌舞伎役者が招かれた武家の座敷で披露する舞踏の一瞬である。絶海の孤島で、楽しかった江戸の生活を回想し、望郷の念にとらわれる一蝶の姿が、その「牛麻呂」という落款に象徴されている。
十一年後、大赦により江戸に戻ることができた一蝶は、このような風俗画から手を引いて、真面目な狩野派絵師に変身する。いま東京都美術館で開かれているボストン美術館名品展では、かつて私も参加した悉皆調査で発見された一蝶の「仏涅槃図」が目玉作品となっているが、これは変身後の大作である。
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