花祭にかぎらず、日本の祭りや芸能の研究のむずかしさは、幾重にもかさなって日本におしよせた大陸の文化を重層的にとりこんでいることである。その表皮を一枚一枚はがしてゆけば、芯にはなにものこらなくなることを覚悟しておかねばならない。日本の独自性をいうならば、素材を組みあわせる演出の技術をみるべきであって、素材自体は海外から渡来したものがほとんどをしめている。
「芯にはなにものこらない」には反発を覚える方もいらっしゃるでしょうが、僕は(イ)として宗像大社のみあれ祭図――よい作例がなかったので棟方志功の「宗像宮神樹の柵」で代用しました――、(ロ)として日吉山王祭礼図屏風、(ハ)として祇園祭礼図屏風、(ニ)として悠紀ゆき・主基すき屏風をあげ、僕が勝手に第5カテゴリーに加えた人への信仰、ある意味での政治的信仰として、豊国祭礼図屏風を映して〆としました。
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