いつのころからか僕は、井伏鱒二の真似をして、漢詩の戯訳を楽しむようになりました。とはいっても、
このさかずきを受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ
などという名戯訳は、真似しようと思って真似できるものじゃありません。しかし、漢詩を伝統的な読み下しにしてみたって、現代人にとって意味をとることは、ほとんど不可能に近いといってよいでしょう。
そこで僕なりに戯訳を試みるわけですが、荒井さんは七五調戯訳に対して、批判的見解を表明しています。先の『中国詩人選集』付録に寄せた「中国の旧詩の翻訳」のなかで、荒井さんは漢詩翻訳の難しさを嘆きながら、次のように述べています。
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